猫のゆりかご
誕生


2008年5月14日(水)

5時半 起床。

6時   夫出勤。

7時半 抗生物質を飲む。

12時28分
ケーキでも焼こうと思ったけれど、眠くて横になっていると、おなかに張りと痛み。
これってもしかして陣痛?

12時45分
おなかに張りと痛み。
でも、痛いかなーという程度。

15時半
抗生物質を飲む。


21時48分
おなかに張りと痛み。
このころから規則的に痛くなってくる。

夫とビデオ「スパイゲーム」鑑賞。
途中、痛みが強くなってきたため心配になり、ネットで陣痛について調べる。

23時
22時台に痛みが10分間隔できたため、病院に電話。
入院の準備をして病院へ向かう。

23時29分
車中、おなかに張りと痛み。

23時36分
車中、おなかに張りと痛み。

23時40分
病院到着。

23時50分
当直であるH先生による診察@陣痛室。
「子宮口も開いていないし、赤ちゃんの位置もまだ高いため、まだまだかかるだろう。」
とのこと。

「麻酔は?」と尋ねるが、院長先生でないと打てないらしく、我慢するように言われる。
部屋に戻ってNSTを付けながら横になる。
一人部屋が満室で、3人部屋だったけれど、他に入院している人はいなかったので、夫も部屋で一緒に眠ってもいいことに。
私は規則的にやってくる痛みでうなされっぱなしだったから、夫はあまり眠れなかっただろう。
かわいそう。
ごめんね。

2008年5月15日(木)

NSTを付けているため、陣痛がきても好きな姿勢がとれず苦しかった。
それに、ベルトの部分がかゆくなってきたので、2時半頃、NSTを外してもらう。
NSTを外してもらったので、自分で携帯電話に陣痛の記録を取る。

本当に規則的にやってくる陣痛というものに感心(?)したり、痛みを紛らわすため、廊下のトイレ(広い。)に本を持っていったり。
部屋の電気を点けると寝ている夫を起こしてしまいそうだったので、トイレで陣痛や分娩の勉強をした。
無痛分娩は最初から痛くないと聞いていたので、陣痛が来た時の呼吸法を全く練習していなかった。
なので陣痛とともに本で勉強した。

陣痛の合間に少しウトウトするも、すぐにまたやってくる陣痛に起こされる。

いろいろ忘れ物をしてきたことに気付き、また、痛いのに麻酔を打ってもらえないので、
「何もしてもらえへんのやったら帰りたい。」
と夫に泣きごとを言ってしまう。

5時20分
H先生の診察@陣痛室。
子宮口は2cm開、赤ちゃんの頭も少し下がってきた。
「痛み、昨夜とは違うでしょう?まだまだ痛くなるから。 (これからくらいが)丁度良いんじゃない、麻酔してもらうのには。 まぁ、生まれるのは早くて昼頃でしょう。」と言われる。

7時5分
分娩室へ移動。

7時半
院長先生による麻酔。
左を下にして膝を抱えた姿勢で看護師さん2人に押さえられ、背中から針を挿入。
でも、うまくいかなかったのか、左足がしびれた。
「足がしびれたら言って。」と言われていたので伝えると、場所を変えて再挿入するとのコト。
動いてはいけないと言われたのに、途中睡魔に襲われ、足が動いてしまう。
先生や看護師さんが「あーっ!!」っと。。。。
私「すみませんすみません。。。」と何度も平謝る。
院長「うまく入ったか分からない。」「痛くなったら入れ直す。」
というようなことを言われる。
私「すみませんすみません。。。」

麻酔をすると血圧が下がるのか、2度程昇圧剤を入れられる。

院長の手により破水させられる(人口破膜)。
子宮口は5cm程度。
「80〜90%下からいけると思うけれど、 念のため(帝王切開の可能性があるため)昼ご飯は食べないように。」と言われる。

8時10分
朝ごはんは、半分だけなら食べても良いと言われたのだけれど、気持悪くて食べられず。
夫が食べる。

8時40分
2度目の麻酔。効いているよう。

9時
寒いので夫に靴下をはかせてもらう。

9時20分
院長の診察。
私「麻酔は効いているけれど、少し痛い。」と伝えると、
院長「次から(7tから)8tで。」 と看護師さんに指示。

9時55分
3度目の麻酔。
この麻酔の前は痛くてしかたなかった。
15分くらいのことだと思うけれど、麻酔を入れてからはずっと分娩台に仰向けに固定されていて身動きも取れないので辛かった。

麻酔後、吐く。
夫にうがいをさせてもらう。

痛みはないけれど、NSTを見ると2分間隔でおなかが張っているのが分かる。
でも、2分から一向に進まない。

11時
院長の診察。
「少し進んだ。子宮口6cm。赤ちゃんの頭も少し下がってきている。」と。

11時10分
4度目の麻酔。
「痛みは全くないけれど、身動きが取れないので辛い。」
と看護師さんに言うと、台を少しだけ起こして下さる。
そうしてもらったらずいぶんと楽になった。

おへそより下にしか麻酔が効いてないため、おへそより上に少し違和感。
でも我慢できる程度。

何時か忘れたけれど、侑和が動いたような感覚あり。
侑和が体勢を変えて、生まれようと下に下がってきてくれたんだと思う。

夫が「母に連絡する。」と言って分娩室を出て行ったきり、しばらく帰ってこない。
ひとりきりで不安に思っていたら、病室(午前中に一人部屋に移動したそう) に運ばれてきていた昼食を食べてきたらしい。

12時28分
5度目の麻酔。
濡れタオルで顔を夫に拭いてもらう。

12時半
院長の診察。
院長「子宮口8cm。赤ちゃんの心拍が落ちるときがあるので酸素吸入を。」
私「へその緒が首に巻いているんですか?」
院長「わからん。」
あまりにそっけない言い方。
でも、よくあることで心配ないからなんだろうと考え、それ以上聞かなかった。

160前後あった心拍が120近くまで下がるときがあった。
でも12時42分頃からはまた160前後に。

13時12分
院長の診察。
子宮口9cm。

13時45分
6度目の麻酔。
このころから赤ちゃんの心拍がすごく下がる。

14時10分
院長がやってきて
「もう子宮口が全開になるのを待っていられない。」
と、分娩の準備が始まる。

夫も立ち会い、陣痛の波と同時にいきむ。
助産師さんにおなかをぐいぐい押される。
いきみ方がわからない。
声を出すなと怒られる。
いきめているのかどうかわからない。

14時28分
3〜5度目のいきみで、吸引分娩にて出産。

「おぎゃー」と元気な産声。


自分の子供でも、生まれたてはかわいくないんだろうなーと思っていた。
分娩のビデオで見る生まれたての赤ちゃんは、全然かわいくなった。
でも、看護師さんに抱かれた侑和は、めちゃくちゃかわいかった。
あまりにかわいくて、びっくりした。


一瞬見せてもらった後すぐに、 侑和は体をきれいにしてもらうため、分娩台の隣の台に連れて行かれた。

私がいきんでいる間、頭を支えてくれていた夫と二人喜ぶ。
キスしてもらう。
人生で最高に幸せなときだった。

すぐに私は院長に会陰を縫合してもらうが、隣の侑和を取り囲む人々の様子がおかしい。
侑和、一度泣いたきり、泣かないし。


絶対大丈夫だと思った。
妊娠中ずっと「異常なし」と言われていたし、大きなしっかりした赤ちゃんだし、何より、私たちの子供だし。
今は泣かないけど、生まれてすぐは泣いたんだから、大丈夫。
人生思った通りになるんだから。
悪いこと考えちゃダメ。
思った通り、幸せになるんだから。


長い時間が経った。
私はパジャマを着替えさせてもらい、陣痛室へ移動。
横になりながら、傍にいてくれる夫とずっと手をつないでいた。

思った通りになっちゃうから、悪いことは考えずに、神様にお祈りをした。
「もう一度泣いて。」って。

でも、侑和は泣かなかった。
呼吸は自分でしているそうだけれど、泣かなかった。動かなかった。

母と義母が陣痛室に来てくれた。
何も言わず、私の頭をなでてくれた母。

侑和は泣きも動きもしなかった。
そんな状態でも出産後すぐよりは少し良くなったとのことで、 NICUのある病院に搬送してもらうことになった。
一番近くのNICUのある病院には断られ、他の病院にも断られ、やっと決まった搬送先。
車で片道2時間はかかる病院。
夫が侑和について行ってくれることに決まった。

すぐに運ぶのかと思ったけれど、病院から専門の先生と救急車が到着するまで待つ。
先生が到着されてからも、しばらくは侑和の容態の説明。

18時
侑和を乗せた救急車が病院へ。
夫はそのあとを自分の車で追いかけることに。
私は背中の麻酔針を抜いてもらう。

18時20分
陣痛室から個室へ移動。
隣には普通に生まれた赤ちゃんがいるため(赤ちゃんの泣き声が聞こえると)私がつらいのではないか、 との看護師さんの計らいで、角部屋にしてもらう。
と言っても、変わる前の部屋と大差なかったのだけれど、勧められたのでそうする。

思った通りになるから、侑和が良くなることだけを一生懸命考える。
H看護師に「泣いてもいいんだよ。」と声をかけてもらったけれど、 なぜそう言われるのか(なぜ私が泣かなければいけないのか)、わからなかった。
私は、本当に、侑和は良くなってすぐにここに戻ってくると思っていたから、涙は出なかった。
侑和が戻ってきたときお世話する体力つけとかなくっちゃ、とボリュームたっぷりの夕ご飯を食べた。
朝昼と食べていなかったからか、あんまり食べられなかったけれど、できるだけ食べた。
おやつに出たらしいシュークリームはもう固くなっててあんまり美味しくなかったけれど、それも半分食べた。
今朝、父が買いに行って母が持ってきてくれた実家の大好きな和菓子も食べた。
義母が持ってきてくれたパイナップルも食べた。

20時頃
夫、NICU着。
「病院内は携帯が使えないため、しばらく電源を切るから。」
と連絡をくれる。

21時頃
義母は帰り、母と姉は産院近くのビジネスホテルに泊まってくれることになった。
母に渡すマンションの合鍵を産院に持ってくるのを忘れ、夫も鍵を持ったままNICUに向かってしまったため、 マンションに帰ってもらうことが出来なかった。

昨夜は陣痛で眠れていないから眠いはずなのに、どうしても眠れなかった。
夫からの連絡をずっと待っていた。

23時50分
夫、私の入院する病院まで帰ってきてくれる。
侑和の状態が良くないと、説明されたことを話してもらう。


途中、 見回りにきたH看護師に勧められ、明朝、外出許可をもらえるよう先生に話してもらうことにする。


夫と二人で泣き、でも、
「泣くのは今日だけにしよう。明日からは泣かない。 侑和が頑張ってるのに、私たちが泣いてちゃダメだ。」
と話し合い、床に就いた。


→誕生後


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