猫のゆりかご
第2子 おといもちゃんの記録

妊娠発覚


2008年10月29日(水)

前回の生理は9/8〜18。
出産後、まだ1度しかきていないし不順なだけだよなあ、 侑和のときみたいに気持ち悪くならないから違うだろうなあ、期待して違ったらショックだしなあ と買うのをためらっていたけれど、今日で52日目だし、Sに結婚式の出欠連絡しなくちゃだし、と 薬局に検査薬を買いに行く。
迷って1本入りを購入。

深夜(27時頃)夫帰宅後に検査。
陽性。

侑和が戻ってきてくれたんだ。
きっとそうだ。

自然と涙がこぼれた。ぼろぼろこぼれた。
見ると、夫も泣いていた。

嬉しくてうれしくて、夫と二人お仏壇の前で長い間手を合わせる。


侑和、戻ってきてくれてありがとう。


「性別は、どっちでもいいけど、でも、男の子がいいな」
夫がつぶやいた。
子供がいないときは、あんなにも女の子を欲しがっていたのに。


どっちでもいい。元気でいてさえくれれば。



2008年10月31日(金)

病院。
今行ったところで、まだ早すぎて何もわからない、と言われるだけだとは思ったけれど、 はっきりさせれば明日遊びに来てくれる母姉に直接報告できるからと行くことにする。

どこの病院に行くか。
次妊娠したらNICUのある病院に行く、そのことは決めていたけれど、 車で30分の総合病院か1時間以上かかる大学病院か。
迷った末、後で変更してもいいしと今回は総合病院へ夫に連れて行ってもらうことにする。

するとやはり、
「赤ちゃんはまだ見えない。羊水と赤ちゃんが入っている袋が見えるだけ。」
と言われる。
でも子宮内に着床したことは確かだそうで、先生に
「次回、赤ちゃんが見えると良いですね。」と言われる。

エコーの計算ではまだ5週目?

侑和のときのことを話し、もしこのまま出産まで辿り着くことができたなら そのときは、赤ちゃんにとって一番安全な方法、帝王切開で出産したい旨伝える。

先生は、最近起こった墨東病院の事件のことを話され、
「母体に何かあったとき、旦那さんは黙っていないでしょう。」
と仰るが、それでもどうしても、と伝える。


子供を亡くすなんてこと、もう絶対にしたくない。

帰りの車の中、病院では私の言うことに口出しせずにいてくれた夫が 「母体に何かあったら、俺は絶対いやだ。」 と悲しそうに言ってきた。

彼に子供を亡くす経験、愛する者を喪う経験をさせたくないと強く思う。

でも、私か赤ちゃんかどちらかしか守れないのだとしたら私は赤ちゃんに生きてほしい。
侑和は私を助けてくれた。
今度は私が赤ちゃんを助けたい。

赤ちゃんにとって一番安全な方法で出産する。

この気持ちは絶対に変わらない。


2008年11月1日(土)

晴れ。だけど風が冷たい。

母と姉を駅まで迎えに行く。
新居に来てもらうのは今回が初めて。

我が家に到着して、侑和を抱いてもらったり、侑和と同じ身長体重ベアを抱っこしたり。
家の中をひとしきり案内したところで、おはぎで一服。

侑和の月命日ごとに作っているおはぎ。
自分でいうのも何だが結構美味しく作れるようになったので 母たちにも食べてもらおうと昨夜作っておいた。
実家では何もしなかった私がおはぎまで作れるようになっていてびっくりされた。

夕飯は我が家で義父母も一緒に。

食事の前に、昨日病院に行ったこと、妊娠したことを報告する。
まだ心拍も確認できないうちに報告していいものかすごく迷ったけれど夫と相談し、家族なんだし、と正直に話すことにする。
皆、喜んでくれる。
やっぱり話して良かった。

母が近所の人の話をした。
その人は一人目の子供を私と同じように亡くした。
二人目を妊娠したと知ったとき、もうあんな辛い思いをするのは嫌だから堕ろそうとした。
けれど周囲の人に「一人目と二人目は違うから」と反対され、結局その後3人のお子さんを出産された。
母はその人に、「娘さんもきっと年末くらいには妊娠したって言わはるで」と言われたけれど どうしてるんかなあと心配していたのだと、でも本当にそうなって良かったと、そう私たちに話してくれた。

母だけじゃなく皆、義父も義母も二人目を待ち望んでいたのは確か。
けれど、私たち夫婦のことを想ってずっと言い出さずにいてくれたのだろう。

皆喜んでくれるのは嬉しいけれど、 侑和のことをなかったことにされたくはない 、という想いはきちんと伝えた。
祖母からもらった手紙を読んで、悲しくなった直後だったから。

「赤ちゃんにはまた会える」 手紙にはそう書いてあった。

赤ちゃんには会えるだろう。でも、侑和には会えない。
侑和は一人しかいない、我が家の長男なのだ。

祖母はそんなつもりで手紙をくれたんじゃない、孫である私の身体のことを心配して手紙をくれた。
それは重々分かるのだけれど、侑和の代わりがいるみたいに読み取れてしまって哀しかった。

母も姉も義父母も、私が言わなくてもそれは分かってくれていると思う。
分かってくれているだろうけれど、もう一度、私の気持ちを伝えておきたかった。

その後は楽しく、たくさん食べた。

2008年11月2日(日)

快晴。風もなく日向は暑いくらい。

朝起きると母が草むしりをしていた。めちゃきれい。ありがと。

朝食後、高崎の観音様へ参拝に行く。
観音様は100か日から1周忌までを守って下さるらしく、以前から行きたいと思っていた。


観音様以外にもいろんな仏像があった。
中には侑和に良く似た仏様も。

観音様の体内にもたくさんの仏像が安置されていた。
体内には階段が幾段もあり、母は私の体のことを心配したけれど、 私の体調はとても良く、侑和のことをお願いしたかったので一番上まで登った。
お地蔵様や安産の仏様に侑和のこと、これから生まれてくる侑和の弟か妹のことをお願いした。


 


2008年11月3日(月)

夫を会社へ送り出した後、二度寝。
目覚めると、母は今日も草むしり。
朝食後、私も一緒に草むしり。

18時 母姉とお別れの時間。
駅まで送っていく。

あっという間だった。

駅のお花屋さんで侑和にお花を買って帰宅。

2008年11月4日(火)

リビングとダイニングを雑巾がけ。
まだつわりはない。

2008年11月5日(水)

昨日とは別の場所を雑巾がけ。

あんまり動くと良くなかったりするのかな?
でも、この時期の赤ちゃんは何してても大丈夫なときは大丈夫だって言うし、 出血もないから大丈夫かな?


おなかの中の赤ちゃんは侑和が帰ってきてくれたんだと思うから侑和だと思うけれどでも 侑和は既に確かに存在してるからこの子は別の子なんだけどでも…と考えあぐね、結局 なんて呼べば良いのやら。。。

悩んでいると、夫がいきなり、
「侑和の弟か妹だから、"おといもちゃん" だ!」

ベビたんの呼び名、決定。

2008年11月6日(木)

朝、異様に寒かった。
2階を雑巾がけ。

毎朝作る侑和の離乳食。
今日はバナナのすりつぶし。
私のブランチメニューはバナナパンケーキ。

夕方帰宅した夫とチコを連れてお地蔵様へ。
4枚着て出かけたから寒くなかった。

2008年11月7日(金)

雨のち晴れ。風強し。
LDK雑巾がけ。

離乳食はりんごのすりおろし。


朝からあんまり気分が優れない。
自分で作った昼食がまずかったからかな?

夕飯は3日連続夫に作ってもらう。
エリンギ椎茸玉ねぎ鶏モモ肉のペペロンチーノ。

23時就寝。

2008年11月8日(土)

朝6時半頃目覚めてから暫くベッドで横になっていたけれど、 眠れなかったので起きる。

夫と友人Hを誘ってラーメン。
H宅へ寄り、お菓子をいっぱい食べてしまう。

帰宅してからもおなかいっぱいで、今日の食事はラーメン一食のみ。

2008年11月9日(日)

早起きして軽井沢へ。
アウトレットで買い物。
夫のパンツや私のニットキャップ、クリスマスオーナメントや侑和へのプレゼントを購入。
昼食は車中で移動しながら作ってきたサンドウィッチを食べ、 13時半から結婚式を挙げた教会で行われる日曜礼拝に出席。
その後、ラウンジで綺麗な紅葉を眺めながらお茶する。

夕食は、住宅メーカー主催の食事会に招待されていたため前橋へ移動。

結婚式も行われるような綺麗な式場で食事は美味しかった。
食後は、私は知らないけれど周りは盛り上がっていたから多少有名なのであろうものまね芸人のショーがあったり、 ビンゴゲームがあったり。
ビンゴゲームでは、はずれ賞に大きな美味しそうなりんごが貰えた。
りんご大好きだから、下手にビンゴにならなくて良かった。
これも侑和のおかげかな。 ありがとう侑和。

2008年11月10日(月)

確かに昨夜ベッドに入るのは遅かったけれど、いくら何でも・・・ってくらい寝る。
朝、侑和にりんごをすりおろした後、またベッドへ。

お昼ごはん後、ベッドへ。
なんだか気持悪い。 つわり?

お風呂に入ってまたベッドへ。

夫も風邪をひいたみたいで調子が悪そう。
たくさん寝たから良くなったって言ってたけれど、早く完治しますように。

2008年11月11日(火)

何か食べたいんだけれど何もほしくない。
今日はキッチンのみ雑巾がけ。
あとはクイックルワイパーですます。

2008年11月12日(水)

喉が痛い。

今日も昨日と同じくお腹は空いてると思うんだけれど、 食べだすとすぐにいらなくなる。
でも、夫にむいてもらったりんごは美味しく、3切れ食べれた。

お昼におかゆを食べる。
たくさん食べれた。
残ってたりんご2切れも。

DVDのレンタル返却日が昨日だった。
たくさん借りたので延滞料金は2,500円。
「でも二人で映画館見に行くこと思えば安いね。」
と夫が言ってくれ、それもそうだねとそんなに落ち込まずにすんだ。
ありがとう。

2008年11月13日(木)

今日は食欲があった。

郵便局に喪中はがきを、 デパートに香典返しと新築内祝いを買いに行く。
包装を待っている間、塩豆大福を食べる。
一人1個はくるねーと話していたにもかかわらず、夫がお腹がすいたと言いだし、 胃が疲れてるから今晩はおかゆにしようと話していたのに近所に新しくできたつけ麺屋さんへ。
おなかいっぱいで帰宅したところ、義父から旅行土産を頂き (筋子、明太子、ボタン海老等々)、せっかくだし…とボタン海老を頂く。

別腹でした。

2008年11月14日(金)

朝ごはんを食べた後、チューリップの球根を植える。
北側だけど、うまく育ってくれますように。

2008年11月15日(土)

侑和6か月目のお誕生日。 おめでとう。

ホームセンターにビオラを買いに行く。
夫の希望で56株すべて黄色。

夜は義父母と侑和の6か月のお誕生日会。
母に「甘いものばかりも体に良くないからたまにはお寿司とかに代えてみたら」 と言われていたので今日はちらし寿司に。
でも夫が「今月は何ケーキ?」と瞳をキラキラさせて聞くので、結局ケーキも。
ガトーショコラを焼く。

2008年11月16日(日)

侑和月命日。
夫と義母は車で1時間程の親戚5件に香典のお返しに。
侑和の初盆に頂いたもののお返しだったけれど、なかなかみんなの都合がつかず、こんなに遅くなってしまった。
当初はもちろん私も一緒に行く予定だったけれど、妊娠が分かった今は遠出を控えた方が良いだろうと、 風邪をひいたということにしてお留守番。
本当に喉も痛かったし。

留守番中、おはぎを作る。
寝ていなければと思いつつ、毎月命日は何かしないといられない。

15時半、帰宅した夫と一緒にビオラを植える。


2007年11月17日(月)

先々週、軽井沢で買ったクリスマスオーナメントでお仏壇を飾る。
とってもかわいい。

昨日、侑和の月命日に、友人たちにメールを送った。
「誕生死」という本をみんなにも読んでほしいと頼んだ。
そのメールを読んで、堕胎手術をしたことのある友人が返事をくれていたので返信する。

一度彼女とゆっくりじっくり話し合いたい。
遠く離れて住んでいるから、なかなか難しいのだけれど。

2008年11月20日(木)

最近二人揃ってお線香あげてないねと夫に話す。
今日からまた毎日夫婦で侑和と向き合おう。
ごめんね、侑たん。

明日は検診。3週間長かったー。
つわりが全くないため、おといもちゃんが居てくれるのかどうか不安。

星がめちゃきれいな夜でした。

2008年11月21日(金)

検診の日。まず最初にエコー。
前回は夫も一緒に入室できたのに、今日は許されず。
主治医制ではないけれど、前回と同じM先生が見て下さる。
特に何も言われない。

問診には夫も同席。
前回よりも胎嚢は大きくなっているけれどまだ赤ちゃんは見えない。
出産後生理が一度しかきていないため排卵日が2週間程ずれている可能性がある。
今日はまだどちらとも言えないので2週間後に再診しましょう、と言われる。

エコーのときは先生そんなことな言わなかったから喜んで夫に 「赤ちゃんの入ってる袋大きくなってたよ!」 って言っちゃってたのに。

もしかしたら今日このまま病院の帰りに母子手帳貰いに行けるかなとまで考えちゃってた。

赤ちゃんダメなのかな。
まだ早すぎたのかな。
私にお母さんになる自信がまだないから、赤ちゃんいやなのかな。

侑和くんに戻ってきてほしい。
おといもちゃんに元気に育ってほしい。

どうかどうか、お母さんにしがみついててね。
2週間後、元気な姿を見せてね。
お願いね。

夜、しばらく治まっていたじんましんが出る。

夫とお風呂に浸かりながら話す。
「おといもちゃん頑張って。でも頑張りすぎないでいいからね。 代わりにお父さんとお母さんが頑張るからね。」って。
そうだね子供たちに無理させちゃダメだ。

頑張りすぎなくていいからね。
しんどかったら休憩していいからね、おといもちゃん。


2008年11月22日(土)

晴れ。
電車に乗って東京へ。
初めて行く美容院でパーマをかける。
お子さんはと聞かれ、「息子が居ます。」と答えた。
答えれた。

御徒町とお茶の水のスノーボードショップへ。
たくさん歩いたけれど、しんどくならなかった。

侑和くん、おといもちゃん、良い子でありがと。

2008年11月23日(日)

晴れ。

喪中はがきを書いたあと、お地蔵様まで歩いて行く。

→出血



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